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安養

  1. 安養
  2. 歴史

?史

沿革
  • 2004年10月(現在)
    • 万安区 14洞
    • 東安区 17洞
  • 2000年12月29日
    法定洞と行政洞間の境界調整
    • 万安区安養7洞の一部→安養1洞に編入
    • 万安区博達2洞の一部→石水3洞に編入
  • 1997年1月1日
    行政洞の境界変更
    • 万安区安養1洞の一部→安養2洞に編入
    • 万安区安養2洞の一部→石水1洞・飛山1洞に編入
    • 東安区飛山2洞の一部→飛山3洞に編入
    • 東安区坪村洞の一部→貴仁洞に編入
  • 1996年1月1日
    法定洞の境界変更
    • 東安区冠陽洞の一部→飛山洞に編入
    • 東安区冠陽洞の一部→坪村洞に編入
    • 東安区坪村洞の一部→冠陽洞に編入
    行政洞の境界変更
    • 万安区安養2洞の一部→安養3洞に編入
    • 万安区安養5洞の一部→安養1洞に編入
    • 万安区安養5洞の一部→安養4洞に編入
    • 東安区葛山洞の一部→新村洞に編入
  • 1995年4月20日
    市間の境界変更

    軍浦市山本洞の一部→安養市万安区安養洞に編入

  • 1994年12月26日
    法定洞の境界変更
    • 万安区安養洞の一部→博達洞に編入
    • 万安区博達洞の一部→安養洞に編入
    • 東安区坪村洞の一部→虎渓洞に編入
  • 1994年12月22日
    行政区域一部変更(市間)
    • 安養市万安区安養洞の一部→軍浦市に編入
    • 安養市東安区虎渓洞の一部→軍浦市に編入
    • 安養市東安区坪村洞の一部→義王市に編入
    • 軍浦市山本洞の一部→安養市万安区安養洞に編入
  • 1994年7月1日
    • 万安区安養3洞を安養3洞と安養9洞に
    • 万安区博達洞を博達1洞と博達2洞に
    • 東安区坪安洞を坪安洞と貴仁洞に
    • 各行政洞を分洞(31洞)
  • 1993年5月20日
    • 復興洞を復興洞と達安洞に
    • 虎渓1洞を虎渓1洞と葛山洞に行政洞分洞(28洞)
  • 1993年1月15日
    • 冠陽2洞を冠陽2洞と富林洞に
    • 坪村洞を坪村洞と坪安洞に
    • ポムゲ洞をポムゲ洞と新村洞に行政洞分洞(26洞)
  • 1992年10月1日

    万安・東安出張所廃止、万安・東安区庁設置

  • 1992年5月7日
    • 飛山2洞を飛山2洞と復興洞に
    • 虎渓2洞を虎渓2洞とポムゲ洞に分洞(23洞)
  • 1990年5月21日
    • 飛山2洞を飛山2洞と飛山3洞に
    • 冠陽洞を冠陽1洞と冠陽2洞に分洞(21洞)
  • 1990年1月1日

    石水2洞を石水2洞と石水3洞に分洞(19洞)

  • 1987年1月1日

    光明市所下洞の一部を石水2洞に編入

  • 1985年11月5日
    • 安養6洞を安養6洞と安養8洞に
    • 虎渓1洞を虎渓1洞と虎渓3洞に分洞(18洞)
  • 1983年10月1日

    虎渓洞を虎渓1洞と虎渓2洞に分洞(16洞)

  • 1982年9月1日

    飛山洞を飛山1洞と飛山2洞に分洞(15洞)

  • 1979年5月1日
    • 安養6洞を安養6洞と安養7洞に
    • 石水洞を石水1洞と石水2洞に分洞(14洞)
  • 1973年7月1日

    安養邑が安養市に昇格

  • 1963年1月1日

    東面新安養里と西面博達里が安養邑に編入

  • 1949年8月14日

    安養面が邑に昇格

  • 1941年10月1日

    西二面が安養面に改称

  • 1914年4月1日

    果川・始興・安山郡が始興郡に統合され始興郡西二面に属す

  • 1895年
    (朝鮮高宗32年)

    果川郡(始興郡)

  • 1414年
    (朝鮮太宗14年)

    果川県に改称

  • 1413年
    (朝鮮太宗)

    果川県(衿州県 → 衿川県)

  • 940年
    (高麗太祖23年)

    果州(穀壌県 → 衿州県)

  • 757年
    (新羅景徳王16年)

    仍伐奴県 → 穀壌県

  • 475年
    (高句麗長寿王6年)

    栗木郡に属す(博達洞・石水洞は仍伐奴県に属す)

歴史と地名の由来

安養市の歴史

文献上に登場する安養の歴史は、栗木郡という行政名称が最も古く、それ以前の原三国時代と先史時代に関する記録はない。しかし、1989年坪村地域の文化遺跡調査中に、石器時代の各種遺物と青銅器時代の支石墓が発見され、安養地域に古くから住居根拠があったことを確認できた。青銅器時代を経て原三国時代には馬韓の領土、百済近肖古王(346-375)時代には百済の領土になり、高句麗長寿王(394-491)時代には漢江沿岸と京畿道の全地域が高句麗の南側の領土になった。

地名の由来

地名の由来

安養という名称は、高麗の太祖王健により創建された安養寺を由来とする。新羅孝恭王4年(900)に弓裔の後を継いだ王建が衿州(始興)と果州(果川)などの地域を征伐するため三聖山を通り過ぎた。この時、山の頂上の雲が5色の光に彩られたのを見て不思議に思い、部下に調べさせた。雲の下で能正という老僧に出会い詳しく話を聞いてみると、王建と同じ志を持っていたので、ここ(万安区石水1洞山2番地一帯)に安養寺を創建した。
この安養寺により、安養という名称が誕生した。朝鮮時代に正祖大王が父・思悼世子の陵に行幸するため仮設した万安橋の「安」という字とともに、「養」は後世の人々に人倫の根本である孝の心を表すため使われたものと思われる。

また、1941年に始興郡西二面が安養面に改称されたが、安養とは、仏教において心を安らかにして体を休める極楽浄土の世界で、すべてのことを円満具足にし、楽のみ存在し、苦のない自由で穏やかな理想郷である。2010年には、中初寺址幢竿支柱が建てられた旧柳柳敷地を発掘中に安養寺の銘文瓦が発掘され、ここが統一新羅時代には中初寺、高麗時代には安養寺があった場所であることが確認された。同時に、当市のアイデンティティを示す貴重な資料として、市の地名の由来の根源地であることを推定できる貴重な資料として評価されている。